
カテゴリー:ブログ
掲載日:2017/05/10
日没直後の薄暗い夕方のことを「黄昏」と言いますが、元々は夕暮れ時に人の顔が判らなくなった際に「あなたは誰?」という意味で使用した、
「誰そ彼」という言葉が語源だそうです。
一方、同じく薄暗い時間帯である夜明け前は何と言うかというと、こちらは「彼者誰(かわたれ)」=「彼は誰」と呼ぶそうです。
夕方の「黄昏時(=誰そ彼時)」に対して、夜明け前は「彼は誰時」と言うのだそうです。へー。
さて、どちらも一日の内に数十分しか訪れない非常に美しい時間ですが、撮影用語で黄昏時のことを「マジックアワー」、彼は誰時のことを「ブルーアワー」と呼ぶことがあります。
皆さんはどちらの時間帯が好きでしょうか。
燃え尽きる前の蝋燭の火のように、明から暗に転じる一瞬を照らし出す金色の時間か、はたまた、溶け出してその形を崩し始める氷のように、完璧だった静の終わりを嘆く青の時間か。
私はというと、静謐を好む年齢になってきたのか、最近は、日が昇る前の静かな時間の方が好きです。
この時間にカメラを持って散歩がてらに近所をうろうろしてみると、なんだか良さげな写真が撮れてしまうので、腕が上がった気になります。
ありふれた日常の、例えば近所の風景も、それを旅先だと思えば美しく感じることができる、というようなことを聞いたことがあります。
また、歩く速度や、視る角度、時間なんかが変わるだけで、ふいにそれまでと違った風景に見えたりすることもあります。
風景が勝手に視界に飛び込んできて、見えてるものをありのままに脳が認識してくれているのではなく、自分がどういうものを見たいのかという意思が、この目に見せるものを決めているのでしょう。
気の持ちようってやつでしょうか。散歩のことを旅と思え。
カメラで何かを写して写真にする際、実際に目の前にあるものそのままを写しているという訳ではなく、「こう写したい」というイメージが先にあって、「そう見えるように」写してると言っていいと思います。
注意を向けたい部分にピントを合わせたり、周りはぼかしたり、主題を画角の中のどこに配置するか構図を考えたり…。
脳で普段起こっているプロセスの逆を行っているということですが、人物のポートレイトなどで美化しすぎるとそれこそ「誰そ彼」=「お前誰だ」状態になるのでその辺りの加減が難しいところでしょう。
私はもっぱら風景など、人物以外を撮ることにしています。マジックの過多を気にしなくていいですし非常に気楽です。人を上手く撮れるほどの腕もないですが…。
綺麗なものを探したり、綺麗に見える方法を探したり、綺麗なものに心を洗われたり。単調になりがちな毎日、ただの散歩といえども、自分の足で刺激を探し求める数十分の旅も面白いものですよ。
変な風にうろうろして、お巡りさんに「お前誰だ」って言われないように気をつけます。
請負事業部 N
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