
カテゴリー:ブログ
掲載日:2016/10/19
「お前、コンピューターできるらしいなぁ。」
「はい」
と言ったのが運の尽き。
何の因果か、ずるずるとシステム担当になってしまった。
コンピューターって言っても、大学の数値解析の勉強で大型汎用機でFORTRAN77使ってたのと、おもちゃのX68000でマンデルブロ集合
を描かせてたくらいで、仕事で使ったことなんて無かったのにぃ~~~。
「Windows95発売ってニュースで騒いでたな?」てなレベル。
会社には、中小企業には似つかわしくないウン千万のオフコンが鎮座ましまし、たった2人の事務員が会計と給与をこなしていた。
業務用パソコンは?と言えば、富士通のDOSマシンで人事データベースが動いてるだけ。
他にFMVのロータス一太郎モデル(笑)が、勿論スタンドアロンで動いていたが、管理資料は管理部長がなつかしの親指シフトのOASYSで作ってた。
まさに富士通系のシステム会社に、してやられてる感じだった。
そうそう、前任者が趣味で買ったMacが1台あって、ExcelとWordが入ってたっけ。
私は、急いで今は無きブラザー直営のパソコンショップ
で松下電器のLet’sNote初期型AL-N1を自腹で買い、
Windows95なるものに初めて触れた。
何故Let’sNoteを選んだのか覚えていないけど、それ以来、代替わりしてもずっとLet’sNoteを使い続けている。
ソフトはフロッピーディスクでインストールするのが普通の時代、CD-ROMドライブを接続するにはSCSIのPCMCIAカードが必要だった。
ロータス&一太郎ではなくMicrosoftOfficeProfessionalを選んだのは、今思えば賢明だった。(Professionalという言葉に惹かれたのは内緒)
2000年問題の到来に備え、オフコンからパソコンへの切り替えは絶対命題。
私は手始めに「初級システムアドミニストレーター資格」に挑戦した。
MsOfficeの資格よりも、会社のシステム全体を構築するシスアドを目指したのは、促成栽培としては当然だった。
そのため、未だにExcelやWordは自分がよく使う機能しか分からない。
1998年にはドメインをとって、ホームページを公開した。
Yahooがまだ検索エンジンではなく登録制の電話帳のような時代。
テキストエディタでHTMLをガシガシ打った。
接続は、電話回線ISDNのテレホーダイだったっけ。
初代Let’sNoteはモデム(電話回線に繋ぐ口)を内蔵してなかったので、PCカードで増設した。
今使ってる5年落ちのCF-S10には、かろうじてPCカードインターフェースがあるけれど、現行のLet’sNoteには、そんなレガシーインターフェースは無い。
RS232Cが無くなったのはもっと前だが、今年、古いTAの設定をいじるためにどうしてもRS232C接続が必要になり、USB⇔RS232C変換ケーブルを買った。
まさに隔世の感あり。
こんなブログが手の中で読めちゃうんだもの。
ムーアの法則の中での20年って時の流れはすごいなぁ。
今、手の中にあるスマホは、あの大型汎用機の能力をはるかに超えてるし。
AIの非常停止ボタンは、是非とも実現して欲しいな。
総務部 K
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